2011.06.29 Wednesday 05:26
  おにぎりです。前回・前々回で『落幡ってどんな場所ですか?』と題し鶴巻(つるまき)が落幡(おちはた)と呼ばれていた頃の紹介をいたしました。

 今回は第一回・第二回で紹介した烏啼(からすなき)とそこを通るかない道(−みち)をご紹介いたします。
日の出橋
暘橋

 駅前商店会のメインストリートにかかる暘橋(ひのでばし)。難読・難記で有名です。なんでも元々は普通に「日の出橋」と書いていたらしく、その名前は橋のそばにあった「日の出」という飲み屋さんに由来するといわれています。因みにこの橋から東側が烏啼です。

 (写真では左側です。)

 この橋を渡り、近道商店街の方面に進んでいくと、とても細い路地が交差します。その路地がかない道です。この道を左に曲がって進んで行くと…
 
かない道@烏啼谷戸
かない道@烏啼谷戸

 少し道幅が広くなり、住宅地の路地のような感じになりました。どことなく落ち着く雰囲気です。因みにかない道の「かない」とは現在の金目(かなめ:平塚市金目地区)のことで、昔は「かねえ」などとも発音していました。

 この「かない」に「金日」と当て字され、それが後に「金目」と書かれるようになり音も字に引きずられて「かなめ」と読むようになったといわれています。

この金目の語源ですが「川沿い(この場合金目川)の集落」や「鍛冶関係の土地である」などの説がありますが、まだはっきりとはしていません。

 (私も“「かない」は「河内」で「川の内側の土地/川沿いの低地」の意味”…などと推測してみたのですが、歴史的仮名遣いが「かなひ」なのでどうも違うようです。)

 次回は来月13日、かない道の全容についてお送りしたいと思います。ではまた><*


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第十六回『落幡ってどんな場所ですか?(後編)』
第十五回『落幡ってどんな場所ですか?(前編)』
第十四回『矢名八窪(南矢名編)』
第十三回『矢名八窪(北矢名編)』
第十二回『おすわさんと諏訪ノ沢』
第十一回『ヒブリとあからしの頃』
第十回『とある根丸島の古代集落』
第九回『横井戸のおはなし』
第八回『大根地区に眠る「塩」の地名・その二』
第七回『大根地区に眠る「塩」の地名』
第六回『南矢名の宿場町・宿矢名』
第五回『北矢名にあった幻の寺院・長昌院に迫る!』
第四回『武将・真田与一と真田城』
第三回『谷戸の街・真田』
第二回『南矢名の景勝地・烏啼』
第一回『一本橋の堰と烏啼の堰』
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2011.06.15 Wednesday 00:00
 おにぎり@栃木県下都賀郡です。今回は前回に引き続き『落幡ってどんな場所ですか?』をお送りいたします。

 前回、落幡という地名の由来を伝える説話を二つ紹介しましたが今回は残る二つを紹介しようと思います。

三、鶴巻は昔は落幡といったのだが、それ以前は米が良く取れることから「稲取りの里」といった。善波太郎の射落とした旗がひらひらと遠くに舞い落ちるのを取りに追ったので、それ以後稲取りの里が追旗(おいはた)の里となり、追旗がいつの頃か落幡になった。

鶴巻の街並みと田園風景
鶴巻の街並みと田園風景

四、(藤沢市域に伝わる伝説)中将姫(ちゅうじょうひめ)という姫が織り上げた旗が津久井方面から飛んできて八菅(はすげ:現在の愛川町)に落ちた。この八菅は修験者たちの道場であり、その行者たちが総出で祈ると旗は再び舞い上がりしばらくするとある所に落ちた。その落ちた所に「落幡」と名がつき、あまりにも立派な旗であった為日向薬師(ひなたやくし:現在の伊勢原市に所在)に寄進することとした。

 鶴巻の伝承ですが、なんと藤沢に伝わるものにまで落幡の名前が出てきます。古くより人々の往来が活発であったことを伺わせます。

 さて、前回鶴巻の“ルーツ”と“姉妹都市”を発表すると申し上げましたが、それはズバリ…


平塚の岡崎(おかざき)です。


 落幡の「おちはた」は元々「遠服」と書きました。「おち」とは「遠い」という意味の古語で「おと」とも言います。これは「おととい」の「おと」と同じです。(因みに「おととい」は「おと・つ・ひ=(昨日より)遠く・の・日」の変化した形です。現在でも「おとつい」と語源に近い発音をする地方があります。)

 そして、「はた」は岡崎にある「大畑(おおばたけ)」に由来するとされています。こちらも古くからある地名で、かつては「大服(おおはとり)」と呼ばれていました。この大服から分村して出来たのが「遠の大服(おちのおおはとり)」、つまり「離れた所に新しく出来た大服」の意味の名をもつ「遠服=落幡」なのです。

 因みに、岡崎には「丸島(まるしま)」という集落があり、こちらは鶴巻の「根丸島(ねまるしま)」との関連が推測されます。(詳しくは「おおねの語り部 第十回『とある根丸島の古代集落』」)をご覧ください。

 次回の語り部は6月29日です。何を書こうかな…とちょっと迷ってますφ(・∀・;)

 ではまた!


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2011.06.01 Wednesday 00:11
 おにぎりです。今回は現在の鶴巻(つるまき)のルーツに迫りたいと思います。

 かつて鶴巻は落幡(おちはた)と呼ばれていたことは以前の号で申し上げた通りです。
しかし、この落幡という「いわくありげ」にも聞こえる名前の場所は一体どんなところだったのでしょうか。
落幡橋
落幡橋

 現在に至るまで、落幡という地名の由来を伝える説話はいくつかが残されています。今回はそのうち二つを紹介しようと思います。

一、善波太郎重氏(ぜんば たろう しげうじ)が、善波山の頂上から強弓を放ち、空中に舞い上がった白旗を射落とし、その旗の落ちた所が落幡となった。

二、善波重氏(鶴巻では和田孫太郎(わだ まごたろう)とする)が、幡曼荼羅(はたまんだら)という化け物を強弓で射落とそうとしたが、場所が悪くて弓が引けない。そこで場所を替えて射落としたので、落ちた所が落幡、弓の弦を巻いた所が鶴巻、弓を引かなかった所が弓不引(ゆみひかず)という地名になった。
(現在、ゆみひかずは「不弓引」と書き小字として現存します。)


 ちなみに善波重氏は鎌倉時代の武将で、二の伝承に登場する和田孫太郎は在地の武士であったようです。また、同じくこの説話に登場する不弓引という地名は本来は「弓を引いてはいけない場所」つまり「禁猟地」をさす地名ではないかと推測しています。

 上二つの説話は地名の由来としての説得力には欠けますが、当時の落幡の人々が自らの村とその歴史をどのように考えていたかを知る上では非常に貴重で、民俗学的にも保存してゆくべきものと思っています。

 さて、落幡の“ホントの由来”と“姉妹都市”が明らかになる第十六回『落幡ってどんな場所ですか?(後編)』は6月15日です。お楽しみに!


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2011.05.18 Wednesday 00:00
 おにぎりです。前回に引き続き“矢名八窪(やなはっくぼ)”の南矢名(みなみやな)編をお送りいたします。

・桂窪(かつらくぼ)
 …南矢名のうち、四丁目と五丁目の境を中心にした地域です。「カツラ」は崩れやすい地形をいう言葉で、「崩れやすい窪地」の意味と推測されます。

(余談ですが千葉県勝浦(かつうら)市や和歌山県那智勝浦(なち−)町の「勝浦」なども同じ語源といわれています。)
 現在では地名としては消失してしまいましたが、かつらくぼ児童遊園地(公園)や大根小学校の雅称「桂が丘(かつらがおか)」にその名前を残しています。

桂久保
桂窪あたり

・北久保(きたくぼ)
 …南矢名西部の下大槻(しもおおづき)に近いエリアで、東名高速と小田急線に挟まれた集落です。

 南矢名と下大槻の境になっている曽屋道(そやみち)という街道の北側に位置することからの名称と思われます。
(曽屋道はかつてこの近辺のメインストリートとされた街道です。第六回『南矢名の宿場町・宿矢名』もご参照ください。)

北久保(南矢名)
北久保あたり

・平内久保(へいないくぼ)
 …南矢名のうち、小田急線と東名高速が交差する地点の北側にある集落の名前です。宿矢名自治会が設置している看板にも記載されています。

 地名の由来はこれといった決め手になる説は導けませんでしたが、粘土をあらわす「ヘナ」+窪で「粘土質の土壌の窪地」の意味、
あるいは平家出身の内舎人(うどねり:天皇の身辺警護にあたった役職)に由来する男性名の「平内(読みは同じ)」に由来するかもしれません。
(こちらも余談ですが、藤原氏出身の内舎人は後に「内藤(ないとう)」という姓の語源となりました。)

自治会看板
宿矢名自治会の案内看板

 前回と今回の二回に分けて「矢名八窪」をお送りしました。そこから大根地区の人々は集落を築く場所をよく見極め、住みよい場所を見出していたことが読み取れます。

 次回は6月1日です。衣替えの日ですが、語り部もなにか着替えてみることは…なさそうです。ではまた!\(^o^)/

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2011.05.04 Wednesday 00:11
 おにぎりです。今回は「大根地区のうち北矢名・南矢名には古くから“窪(くぼ:久保とも書く)”の付く地名が多く見られ、“矢名八窪(やなはっくぼ)”といわれる」

 …という記述を見かけたので北矢名(きたやな)・南矢名(みなみ―)の「くぼ」の付く地名をまとめてみました。

今回はそのうち北矢名にある「〜窪」をお送りいたします。

・蛇久保(じゃくぼ)
 …北矢名のうち、東名高速を越えたおおね台団地の東側の窪地です。

また集落名や塩河内川(しおこうちがわ)の上流での名前(蛇久保沢または蛇久保川)にもなっています。

名前は「へびのように曲がりくねった窪地」または「砂利の多い窪地を意味する“砂久保(じゃくぼ)”の砂の字が蛇に差し替わったもの」などの説があります。

どちらの説が正しいかはさておき、川と密接な関係にある地名であることは確実です。
 
蛇久保橋
蛇久保橋

・漆窪(うるしくぼ)
 …北矢名のうち、秦野農協の北矢名さわやか農園の南側の斜面一帯の地名です。

字面は「漆の生えている窪地」のように取れますが、近くを諏訪ノ沢(すわのさわ)をはじめ複数の沢が流れていること、また音が「潤し(うるし)」に通じることから「湿潤な窪地」の意味と思われます。
 
漆窪付近の沢
漆窪近辺の沢

・太夫窪(たいくぼ)
 …学前駅北口を出てすぐの高台を北側に下ったあたりです。

この地名も集落の名前となっており、近くには「みなみたいくぼ公園」もあります。(=南太夫窪)

この地名は高台のそばで、川も近いことから「たゆんだような複雑な地形をした窪地」の意味と推測されます。「たゆ」に「太夫」と当て字され、後に「たい」となり「たいくぼ」となったのでしょう。
 
学前駅北口界隈
太夫窪付近(駅北口)

 因みに「窪」の付く地名が集落名となっていることが多いのは、窪地は井戸がつくりやすく水の確保が容易であるため自然と集落が形成されやすかったことに起因していると思われます。

 次回は5月18日『矢名八窪・南矢名編』です。お楽しみに\(^o^)/


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2011.04.20 Wednesday 05:32
 おにぎりです。今回は北矢名(きたやな)の知られざる「おすわさん」とそのそばを流れる沢についてお送りします。

 おすわさんはその名前からも分かる通り、正式名称を「諏訪大明神(すわだいみょうじん)」といい、江戸時代末期の安政三年(1856年)に長野県諏訪にある諏訪大社から、ここ北矢名の地に勧請(神仏に来てもらうこと)されました。
 
おすわさん
おすわさん

 見た目は小さな石の祠ですが江戸期の北矢名村の記録(相模国風土記稿)や絵図(相模国大住郡南北矢名村絵図)にはきちんと「諏訪大明神」の記述があり、村の鎮守様として敬われていたことが伺えます。

ちなみに、後ろを振り返るとそこは雄大な景色が…!相模国(さがみのくに:神奈川県から川崎と横浜東部を引いた地域)を一望できます。
 
遥かに広がる相模国
遥かに広がる相模国

 ところで、おすわさんのある山の尾根近くには「諏訪ノ沢(すわのさわ)」という沢があります。もちろん、「おすわさんの近くから流れてくる沢」の意味です。

私がこの写真を撮ったのは三月上旬のころで、この頃は梅林と沢がいいコントラストを織り成していました。大切にしたい場所ですね。
 
梅林と諏訪ノ沢
諏訪ノ沢と梅林

 御高覧ありがとうございました。次回は5月4日を予定しております。

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2011.04.06 Wednesday 16:24
 社会人になりました!おにぎりです\(^o^)/。歴史コラム「おおねの語り部」、前々回は二回に跨いで「大根地区に眠る「塩」の地名」をご紹介しました。

 今回は落幡(おちはた=鶴巻)から川をさかのぼって再び大根川をご紹介いたします。

 かつてこのあたりが農村であった昭和40年代ころまで、大根川にはウナギ・ハヤ・ドジョウといった現在では珍しくなった魚が多く住んでおり、地域のこども達の間ではそれらを“ヒブリ”という漁具で獲る遊びが盛んに行われていました。

ヒブリ
ヒブリ

 こちらがヒブリです。シルエットは巨大な歯ブラシの様で長さは30cmほどですが、2mくらいの長い棒に継ぎ足して使うことが普通でした。

先には15本ほどの針が一列についていて、その針の面を魚に突き立てて捕まえます。

 もちろん、この川で行われる遊びは魚とりだけではありません。かつては今よりも水深があったため泳いで遊ぶこともできたようです。

 その中でも、駅前商店会から少し上流にさかのぼったところにある三日月のように曲がりくねったところは“あからし”と通称され格好の遊び場だったようです。

あからし
“あからしの橋”から“あからし”を臨む

あからし概略図
あからし概略図

 この大根川が地域と密接な関係にあったことは川の周辺に残された地名からもうかがい知ることが出来ます。

 現在の中央橋(ちゅうおうばし)の少し上流あたりに合流する田中川(たなかがわ)と大根川の二又になった内側にはかつて石摺(いしずり)という地名がありました。

中央橋
中央橋

 これは「川の合流点で流されてきた石がぶつかるところ」または崩れやすい地形の場所に付けられることが多い地名とも言われています。

 川の合流点は流水の作用で崩れやすい地形となることも多いようですが、現在ではコンクリートで護岸されているので崩れやすい状態ではなくなっています。

 ちなみに田中川の「田中」とはこの川の上流にある田中という北矢名(きたやな)の集落に由来するようです。

 それでは今回はこの辺にて失礼いたします(*´д`)。第十二回にてお会いいたしましょう!ヾ(*´д`*)ノシ

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2011.03.23 Wednesday 04:28
はじめに:今回の東日本震災の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私にできることとして、郷土史という「人の思い」や「ぬくもり」そして「人々の日々の暮らし」に密接な関係がある分野を活かし、少しでも皆様の気持ちが温かく、そして楽しくなるような記事を書いていきたいと思っております。
 平成23年3月23日  栃木県下都賀郡より 筆者


 おにぎりです!皆さまのお蔭でおおねの語り部は第十回を迎えることができました。記念にこんなものをつくってみました><*

とある根丸島の古代集落
とある根丸島の古代集落

 今回は鶴巻にある根丸島(ねまるしま)という丘と、その上にあった遺跡についてお送りいたします。

 根丸島は鶴巻の南五丁目の小田急線沿いにある丘で、その麓にある集落の名前にもなっております。古い時代には単に「丸島(まるしま)」とも呼ばれていました。

この「マル」は山を意味する古語で丹沢あたりに多いといわれていることから「山のような形をした島」の意味と思われます。「島」は低湿地の中にある丘を島にたとえて呼ぶ言葉です。

 また、ここの頂上にある団地は「ひかりの丘」といい、この名前が根丸島の異称・美称として使われることもあります。

根丸島
根丸島

 この根丸島ですが、その小高い地形のため鶴巻の中でも水害の被害を受けにくいとされ「水がつくと(=洪水になると)根丸島と舞台(ぶたい)が島のようになった」と言われたようです。

(舞台も鶴巻の集落で、その地名の由来は大根川の流水作用で出来た「舞台のように細長い台地」と思われます。)

舞台集落
舞台集落

 さて、そろそろお話を根丸島遺跡に移します。この遺跡からはなんと約700軒にも上る住居跡、そして稲の籾(もみ)の跡が付いた土器、そして糸車など様々なものが出土しました。神奈川県下で見てもかなり大規模な集落だそうです。

 鶴巻の古くからの方に伺うと「根丸島には万単位の人が住んでいた」と仰ってました。単純に1万人だとしても10000÷700で計算すれば一世帯当たり約14人です。

現在の核家族と違って一族親戚が寄り集まって暮らしていたと考えるならば、さほど不自然な人数ではないことがわかります。


今回も御覧くださりありがとうございました。次回は4月6日を予定しております。私事ですが社会人となって初めての記事になりそうです。

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2011.03.09 Wednesday 04:24
 おにぎりです。私事ですが昨日、金目(かなめ)のアパートを引き払いました。今回より私の郷里・栃木から大根に発信して参ります><*

 今回は人間が生きていく上では欠かせない水を得る為の井戸が、大根地区ではそのように造られていたのかをご紹介いたします。

大根地区の横井戸
大根地区の横井戸

 写真の横井戸は貯水槽を設けたタイプのもので、現在でも山中に残っているものが多く見られます。因みにこれは北矢名(きたやな)の北部にある「谷戸」という名の谷戸の奥で見つけたものです。

 谷戸(やと:丘の間の谷のこと)の多い大根地区では、農業用水の確保などには谷筋の斜面を水平に掘って井戸とする「横井戸(よこいど)」という方式の井戸が盛んにつくられました。

 この横井戸に似た原理の井戸に、中東・イラン近辺で掘られる「カナート(qanat)」と呼ばれる井戸がありますが、こちらは長大なもので全長は数十キロに及ぶことも珍しくありません。

 その斜面を横に掘ることで谷戸田に水を供給する為の井戸としていたようです。その恵みに感謝して水神を祀る家もありました。

烏啼水神
水神宮の一例

 また、大根地区はそこ自体が大根川を中心に形成された谷戸のようなものであり、古来より湧水・取水には恵まれていたようです。

 その証左に、南矢名(みなみやな)には井戸窪(いどくぼ)という“そのものズバリ”な地名も残っており、ここからも大根の方々がいかに井戸を大切にしてきたかが伺えます。

大根地区の横井戸
井戸窪近辺

 今回もご覧下さりありがとうございました。次回は3月23日を予定しております。

資料提供:青木繁美様(水神宮)

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2011.02.23 Wednesday 05:57
どうも!おにぎりです(*´д`)今回は前回の「大根地区に眠る「塩」の地名」が好評だったため、その第二弾をお送りいたします><*


「塩」のつく地名は大根地区、その中でもとりわけ鶴巻に多いとお話ししました。では、現在この鶴巻にその痕跡が残っているかどうかをレポートしたいと思います><*

まず、鶴巻温泉駅のあたりから探索してみると、意外にも近くにありました。
その場所は駅の南口を出て、鶴巻の南四丁目のアパートや住宅が密集している地区です。よく見ると水路に金渋(かなしぶ)がついています。

この場所は古くから「蓑輪(みのわ:三ノ輪の表記もあり)」と呼ばれ、その地名は「水に囲まれた場所」を意味していると推測されます。
また水がたまりやすいところであったために湧水由来の塩害が発生しやすかったとも考えられます。

金渋のついた水路
金渋のついた水路

金渋は鉄分が沈着して現れるものであり、水路などでは水が接しているところが茶色く錆びたような色になるので容易に判別が可能です。

ここ鶴巻においては、湧水(温泉)に含まれる多量の塩分が鉄分に反応して金渋になっていると思われます。


この湧水のせいで落幡村(おちはたむら:現在の鶴巻)では農作物が枯れてしまう被害が出たことは前回のとおりですが、この湧水には塩分・カルシウムなどが含まれていたため、農作物にとっては害になっても温泉とすることで鶴巻、ひいては大根に多大な恩恵を与えたと言えます。

また鶴巻温泉北口には落幡村村名保存碑なる碑も残されています。

落幡村村名保存碑
落幡村村名保存碑

次回は月明けて3月9日です。お楽しみに!おにぎりでした(*><*)

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