2012.01.25 Wednesday 00:22
 おにぎりです。今回は前回に引き続き真田(さなだ)の谷戸ですが、その中から中ノ谷津(なかのやと)についてお送りいたします。

 前回の最後に紹介した水路ですが、あの水路をたどっていくとなんとこんな場所にたどり着きます。

中ノ谷津
まさにラストオアシス@中ノ谷津


 なんと真田の谷戸にも開発を免れた場所があったのです。ちなみに真田の谷戸を地図にしてみると…

真田・谷戸概略図
真田の谷戸概要図


 この谷戸から流れる沢の流れは大まかに二つに分かれ、一つは大谷津(おおやと)の南端から北上し、途中に中ノ谷津を合流してさらに北上するルートです。おそらくはそのまま大根川に注いでいたものと思われます。

 もう一つは与市谷津(よいちやと)から谷津(やと)を経て北上するルートです。与市谷津は現在のウッドパークという造成地のあるところにあたります。

分かれ道
二つの谷戸の分かれ目

 
 上の画像では右が中ノ谷津・大谷津で左が谷津・与市谷津です。この四つの谷戸のうち古くから集落があったのが谷津(やと)で、他の三つの谷戸は谷戸田(やとだ)と呼ばれる水田や果樹園として利用されていたようです。

 そして、谷戸田の面影が谷戸の分かれ目のすぐそばにありました。

谷戸田の面影
谷戸田の面影


 谷戸田の悪水路(あくすいろ:排水路のこと)は水はけを良くするために深くまで掘り込んで板と杭で土留めをしたものが多く、具体的にはこの写真のような感じです。

 ではまた!


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第三十一回『真田へ谷戸の名残をさがしに』
第三十回『お地蔵さんとお山王さんと堂坂』
第二十九回『原 久胤と下大槻』
第二十八回『下谷戸』
第二十七回『大塚所の古墳群』
第二十六回『宮田橋』
第二十五回『田んぼ、名残、学前にて』
第二十四回『南矢名‐曽屋 うとう坂を登る』
第二十三回『真田・大谷津沢を遡る(支流編)』
第二十二回『真田・大谷津沢を遡る(本流編)』
第二十一回『矢名八窪(天保編)』
第二十回『忘れられた清流・雉ヶ谷戸』
第十九回『そもそもなんで大根は「大根」なの?』
第十八回『烏啼谷戸とかない道(後編)』
第十七回『烏啼谷戸とかない道(前編)』
第十六回『落幡ってどんな場所ですか?(後編)』
第十五回『落幡ってどんな場所ですか?(前編)』
第十四回『矢名八窪(南矢名編)』
第十三回『矢名八窪(北矢名編)』
第十二回『おすわさんと諏訪ノ沢』
第十一回『ヒブリとあからしの頃』
第十回『とある根丸島の古代集落』
第九回『横井戸のおはなし』
第八回『大根地区に眠る「塩」の地名・その二』
第七回『大根地区に眠る「塩」の地名』
第六回『南矢名の宿場町・宿矢名』
第五回『北矢名にあった幻の寺院・長昌院に迫る!』
第四回『武将・真田与一と真田城』
第三回『谷戸の街・真田』
第二回『南矢名の景勝地・烏啼』
第一回『一本橋の堰と烏啼の堰』
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2012.01.11 Wednesday 13:56
 外伝でも申し上げましたがあけましておめでとうございます。おにぎりです。今回は題の通り真田(さなだ)へ谷戸の痕跡を探しに行きました。

谷戸に残る畑
谷戸に残る畑


 まずは真田のところどころに見られる畑です。里芋は湿った所を好む植物で、谷戸の畑という条件下ではやはり里芋が最も栽培に適しているのでしょう。

 さらに進んでいくと駐車場の片隅にヨシ(葦)の小さな株を数本見つけました。皆さんご存じの通りヨシも湿地性の植物で、よしずなどの材料になるあれです。

谷戸に残るヨシ
谷戸に残るヨシ


 そこから道を外して少し小高い所に登ってみると、なんとアパートの表札に「烏啼(からすなき)」が残っていました。烏啼に関しては第一回・第二回もご参照ください。

表札
烏啼の名が残る表札


 真田の谷戸では現在も水路が見られることは第三回でも申し上げた通りですが、現在ではこんな感じです。

水路
水路


 現在ではコンクリのただの水路になっていますが、この水路を上流へ遡って行くと…。

 


 詳しくは次回(1月25日)です。乞うご期待です(・∀・)


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2012.01.10 Tuesday 00:36
 あけましておめでとうございます。おにぎりです。

 現在は東海大学湘南校舎内の地名を特集している「1117番地の思い出」をお送りしてますが、中休みとして北金目(きたかなめ)の入谷戸(いりやと)に関する記事をお送りいたします。

現在の入谷戸
現在の入谷戸


 外伝第三回でお送りしましたとおり、入谷戸は東海大学湘南校舎の北東端にあたる場所にある谷戸です。一時期まではアーチェリー場もあったところですが、現在ではアーチェリー場はなくなり、宅地として開発されている途中です。

 また、水源にあたる場所は土が盛られるまで湧水が見られましたが、現在でもその部分だけ湿っています。(上の写真の手前側)

 この入谷戸には沢があり、かつては下図の青線のように流れていました。ちなみに、青線の左端あたりが上の写真の湿ってるところです。

入谷戸周辺図
入谷戸周辺図


 この辺りは「入谷戸」の地名のほかにも「宮久保(みやくぼ)」という地名がある通り、窪地で湧水が豊富にあり宅地として開発する際も大きな水脈にぶつかったことがあるそうです。

 ちなみに宮久保の名は 「神社のある一帯の窪地」の意味と推測され、 図右側にある北金目神社に由来していると思われます。

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2011.12.28 Wednesday 00:10
 こんにちは。おにぎりです。今回は南矢名(みなみやな)にございます「堂坂(どうざか)」を登ってまいりました。

堂坂ふもと小南橋
堂坂ふもと小南橋


 堂坂は南矢名の小南(こみなみ)集落の南側を南に登って行く坂です。上の写真に写っている橋は現在では「萩山橋(はぎやまばし)」といいますが、かつては小南橋と呼ばれていました。

 ちなみに「小南」は全国各地の例では「南に分村した小集落」のような意味ですが、ここより北は丘になっていて古くからの集落は見られません。「萩山」の「ハギ」は「ハケ」「ハガ」などに通じ「崩れやすい山」のような意味と思います。

 現地では下のような地形もみられました。もしかしたら「萩山」の指している場所はここかもしれません。

崖のようにそりたつ山
崖のようにそり立つ山


 更に登っていき、右手に進むと…

日枝神社
日枝神社


 同じく南矢名にある集落、根古屋(ねごや)の鎮守である「根古屋山王(―さんのう)」こと日枝神社(ひえじんじゃ)に到着しました。

 この神社は本来別の場所にあり、この場所にはかつて地蔵堂がありました。そのお堂が坂の名前にもなったのですが、廃仏毀釈により地蔵堂は破壊されここはしばらく空き地となっていました。

その後小田急線が建設されるにあたって日枝神社が遷座することになり、空き地となっていたここに遷座しました。もともとは現在の小田急線と東名道が交差する地点のやや南側にあったようです。

 更に登って行くと、ブロック敷きのきつい坂になりその区間を抜けるとほぼ登りきったのか平らな道が続きます。

 しばらく行って右手を眺めてみると…

茶畑
冬空と茶畑


 冬空の下に茶畑が…!またも大根が誇れる景色を見つけた気分です。ここからさらに進むとバス通りのローソンストアとコープの斜向かいあたりに出て堂坂は終わりです。


 では、本年もお世話になりました。次回は来年1月11日です。

 よいお年を。


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2011.12.14 Wednesday 00:00

 朝ごとに きくも寒けし 大路行 ちから車の 霜にきしるを ― 原 久胤『五十槻掻葉集』より


弘法山から
弘法山から下大槻方面


 …どうも。おにぎりです。今回は下大槻(しもおおづき)と同地出身のカリスマアーティストとも呼べる歌人で国学者の原 久胤(はら ひさたね)さんを御紹介いたします><*

 原さんは寛政4年(1792年)に相模国大住郡下大槻村(さがみのくに おおすみのこおり しもおおづきむら:現・秦野市下大槻)に生まれ、別名を平 久胤(たいら の ひさたね)、字(あざな:通称)を新左衛門(しんざえもん)、そして号(ごう:ペンネーム)を五十槻舎(いつきのや)といいました。

 あの有名な本居宣長(もとおり のりなが)に弟子入りし、のちに万葉調の和歌を得意とするようになりました。江戸・相模・駿河(東京・神奈川・静岡東部)といった地域で活躍し、武家にも歌道の指導を行ったとされています。

 その原さんですが、現在は弘法山の山頂に歌碑が建立されています。当初は東京・品川区の長応寺(ちょうおうじ)に置かれていたらしいですが、現在は下大槻をのぞむこの地に移設されました。

歌碑
原久胤 歌碑


 彼が生まれ育った下大槻は金目川(かなめがわ)の北側にあたり、地名も「ツキ」が河岸段丘(かがんだんきゅう:川の流れで形成された崖のある丘)を表すことから「大槻」は「大規模な河岸段丘(のある地域)」の意味と思います。
 
 ちなみに古くからの集落は「峯(みね)」が代表的であり、字名にはそれぞれ峯ノ上(みねのうえ)・峯(みね)・峯ノ下(みねのした)があります。峯ノ下は交差点の名前にもなっているので御存じの方も多いと思います。「峯」は「突き出た丘(のふもとの集落)」の意味と推測されます。

峰ノ下交差点
峯ノ下交差点


 …最後になりましたが、そういえば下大槻をメインに取り上げたのは今回がはじめてな気がします…ごめんなさい><;

 それでは、次回は28日です!恐らく今年最後の語り部本編ですね…。


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第二十八回『下谷戸』
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2011.12.11 Sunday 17:18
 こんにちは。おにぎりです。「1117番地の思い出」下界編の第一弾をお送りいたします。

―――キリトリセン―――

一本木(いっぽんぎ/旧名:矢名尻(やなじり))

地域内の施設など

・16号館
・17号館
・上二つの校舎間に位置する通りの大部分
・A、B、C、D、G、H棟

解説・備考

一本の大樹があったことによるものと思われる。こうした地名は「指標地名(しひょうちめい:その地のシンボル・ランドマークとなるものに由来する地名)」と呼ばれ全国に多い。

旧名の矢名尻(やなじり)は現在南金目の小字として存在している。(矢名尻は短大編にて紹介予定)

16号館
16号館



烏林(からすばやし/旧名:ゴミ坂(ごみざか)・別名:鳥林(とりばやし))

地域内の施設など

・12号館
・1、2、6棟
・天文台

解説・備考

 現在は「鳥林(とりばやし:誤記から生じたものか)」ともいい、平塚市の固定資産税課では「鳥林」を採用している。

カラスが多く生息する林があったことによるとされるが、「カラス」が小高い場所をいう地形語であるといわれることから「小高い所の林」という意味ではなかろうか。

旧称の「ゴミ坂」に関しては「芥坂(あくたざか:上界編にて紹介)」の項目を参照のこと。

12号館
12号館


皿廻(さらまわし)

地域内の施設など

・H棟
・9号館
・D棟の南側
・南門

解説・備考

小字地名としては「上皿廻(かみさらまわし)」と「下皿廻(しも―)」だがここでは一括した「皿廻」として扱う。

字面そのままなら曲芸の皿回しのことになってしまうが、おそらく元々は「サラ・マシ」で「サラ」は「新しい」、「マシ」は「増し」で「新たに開墾して増やした土地」のような意味であろう。

なお、現在の芥坂にあたる地域が「皿廻し」と呼ばれていた時期がある。また、当地域北側を曽屋道(そやみち)という道が通っていた。(本編第六回も参照。

南門
南門


―――キリトリセン―――
 
 今回から下界編が始まりました。大学の立地する北金目(きたかなめ)の字名には隣接する矢名(やな:秦野市南矢名・北矢名)との密接な関係を示すものが多く、一本木の旧名は矢名尻、上界編にてご紹介しました大塚所の旧名は矢名原…といったようなものです。

 皿廻は珍地名のように扱われそうですが、実際の意味を紐解くと妙な意味ではないことが推測できます。烏林の「カラス」は毎度おなじみ「烏啼(からすなき)」の「カラス」と同じく「小高い所」の意味と思います。

 東海大生の間では「下界」と総称される一帯ですが、実際は起伏に富んでおり地名もその地形を反映していて非常に面白いと思います。

 次回は下界編その二…だと思います。それでは!

バックナンバー
外伝第三回『東海大学湘南校舎〜1117番地の思い出(上界編その三)』
外伝第二回『東海大学湘南校舎〜1117番地の思い出(上界編その二)』
外伝第一回『東海大学湘南校舎〜1117番地の思い出(上界編その一)』
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2011.12.01 Thursday 12:09
 こんにちは。おにぎりです。「1117番地の思い出」第三弾をお送りいたします。

―――キリトリセン―――

入谷戸(いりやと/旧名:鳥井所(とりいどころ))

地域内の施設など

・アーチェリー場(現在は消滅)
・第二駐車場

解説・備考

 入り組んだ、あるいは奥の方にある谷戸(やと:丘の間にある谷になっている地形のこと)の意味と思われる。

 旧名の「鳥井所」は「鳥居のある所(現在同地に鳥居は存在しない)」の意味と思われ、また隣接する王子ノ台から地蔵も出ていることから恐らくは近隣の熊野神社(現・北金目神社)の鳥居及び裏参道があった所と推測される。

アーチェリー場
在りし日のアーチェリー場


与市谷津(よいちやと)

地域内の施設など

・第一駐車場
・駐輪場
・湘南クラブハウス
・ゴルフ練習場

解説・備考

 「谷津(やと)」は丘陵地帯の合間の谷のようになった湿地のことで、地域によっては「やつ」や「やち」などのようにも呼ばれ水田などに利用される土地。

 「与市」はかつてこの近辺を治めた平安時代の武将・真田義忠(さなだ よしただ:苗字は“佐奈田”と書かれることもある)の通称「与一(よいち:与市とも)」に由来すると思われる。

クラブハウス
湘南クラブハウス


横 畑(よこばたけ/旧名:大道原(だいどうはら))

地域内の施設など

・野球場北東端の一部

解説・備考

 かつては北金目台地上の畑作地であった。そのことから「古道横の耕作地」の意味と思われる。旧名の大道原は街道沿い(曽屋道または三ノ宮道)の野原の意味と思われる。

 この地域も薮根(やぶね:下界編にて紹介予定)と同じく大学構内に含まれるのはほんの一部で、地域のほとんどが大学の敷地の外に位置する。

野球場
野球場(横畑にあたる場所)


―――キリトリセン―――
 
 …はい。今回は上界というよりも「上界周辺のどこにくくられるのかよくわからない場所」の総まとめのような感じになってしまいました。

 ちなみに院生の先輩いわく「上界のうち芸術系の学科がある橋向こうは天上界(てんじょうかい)という呼び名もある」らしいです。なんでも芸術系の学科の女子は(中略)ため天上界というらしいです。

 入谷戸は以前アーチェリー場があったあたりの地名で、現在は開発に伴って均されています。王子ノ台(おうじのだい:11・14号館あたり)と上ノ原(うえのはら:北金目の新開地がある丘)の間の谷戸です。

 与市谷津(よいちやと)は掲示門付近の駐輪場あたりのことで、現在は宅地造成によって地形が変わりましたが近辺にはまだ水がわいている場所もあります。

 横畑は大学内に入っているのは三分の一くらいだった記憶があります。曽屋道(そやみち)は本編第六回で取り上げた街道で、三ノ宮道(さんのみやみち)は三ノ宮(比々多神社近辺)に向かう街道です。そのうち三ノ宮道特集なんてのもやるかもしれません。

 …次回から多分下界編が始まります。

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外伝第二回『東海大学湘南校舎〜1117番地の思い出(上界編その二)』
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2011.11.30 Wednesday 19:58
 最近ジャケットやネクタイに凝り始めたおにぎりです><*

…そういえば語り部は大体一周年を迎えました。今後とも語り部とおにぎりとおおねさんぽをよろしくお願いいたします。

 では、今回は鶴巻(つるまき)にある谷戸である下谷戸(しもやと)についてお送りしたいと思います。

 下谷戸は鶴巻南二・三・四丁目に跨った谷戸です。下谷戸の範囲のうち二丁目にあたるのは落幡神社のあるあたりで、落幡神社の北側を北東に向かって延びる小道の東側が南三丁目、西側が南四丁目にそれぞれあたります。

落幡神社
落幡神社・拝殿


 さて、落幡神社の北側から延びている小道から下谷戸に入ってみようと思います。

下谷戸の住宅地
下谷戸の住宅地


 現在は住宅地となっているこのあたりですが、家並みの間を見てみるとかつては用水として使われていた沢が蓋掛けされて残っていたりして谷戸の名残が断片的に垣間見えます。

更に道を進んでいくと…

下谷戸の畑
下谷戸の畑


 なんと今でも畑が残っています。第五回の蛇久保(じゃくぼ)第二十回の雉ヶ谷戸(きじがやと)のときもそうでしたが、大根地区はある一線を超えると景色がガラッと変わったりするので飽きないと思います。

 そして足元に目を向けると…

下谷戸の沢
下谷戸の沢


 沢も残っています。写真では解りづらいかもしれませんが水路脇から水がしみ出ていたり、また水自体もかなりきれいなものでした。

 現在では下谷戸から流れ出た沢は途中で切れてしまいますが、地形から察するに恐らくは更に北上してひかりのまちあたりから新川に注いだものと思われます。

 余談ですがひかりのまちあたりには「北ノ下(きたのした)」という字名が残っており、これは下谷戸あたりから北進するにつれ新川に向けて下っていく地形を指したものと思われます。

 ではまた!次回は12月14日です。


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第二十七回『大塚所の古墳群』
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第三回『谷戸の街・真田』
第二回『南矢名の景勝地・烏啼』
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2011.11.25 Friday 01:52
 こんにちは。おにぎりです。

先日いきなり開始した番外編企画・「1117番地の思い出」第二弾です!


―――キリトリセン―――

大塚所(おおつかどころ/旧名:矢名原(やなはら)・大塚戸(おおつかど))

地域内の施設など

・1号館A翼とB翼
・4号館
・8号館
・15号館
・松前重義博士銅像近辺の坂
・野外音楽堂舞台部分
・真田大原遺跡の一部分
・松前記念館西半分

解説・備考

 かつては「大塚戸(おおつかど)」とも呼ばれた。この「ど」は「場所」の意味で「大きな古墳のある場所」のような意味であろう。

こう推測すれば「大塚所」と意味は同じで、もともとは秦野市側の「大塚」とも同じ地名であると考えられる。

ここにあった古墳の一部を移築したのが望星塚(ぼうせいづか)である。また、大学所在地の地番1117はここに属する。

ここにあった二つの古墳はともに大きな塚のようであったため地域住民は北東にあった塚を「灰塚(はいづか)」、もう一方の北西にあった塚は「金蔵坊塚(こんぞうぼうづか)」と呼んでいた。

この塚は相模国風土記にも記述があり、この地域が歴史的に見ても重要であることが分かる。

旧名の矢名原は矢名地区(秦野市南矢名)に面している所からと推測される。
また、この地区をはじめキャンパスの西側を小田原道(おだわらみち:下記にて説明)という街道が通る。

4号館
四号館

1号館
一号館(B・C翼)


大原(おおはら)

地域内の施設など

・1号館C翼
・北駐車場
・北門
・掲示門
・真田大原遺跡

解説・備考

 大学敷地内で真田地区に属する小字(現在は北金目に編入)。東海大学前駅方面から大通り沿いに坂を登り最初に見える大学の敷地周辺の地名。

傾斜がほとんどなく、広い原っぱのようになっていたことに由来する地名であろう。

真田大原遺跡の大部分が当地にあり大学が建設される前は塚のような古墳があった(大塚所の項目も参照されたし)。

地区の西側を矢倉沢往還(やぐらさわおうかん:後述)の新道が通る。

北門
北門

掲示門
掲示門


―――キリトリセン―――
 
 今回は本編第26回の「大塚所の古墳群」でご紹介したあの地名・大塚所と大原です。この二つだけでかなり分量があるのと補講的な意味合いにもなりそうなのであえてこの二つのみで記事にしました。

 ちなみに小田原道はキャンパスの西側を撫でるように通る道です。小田原北条氏(おだわらほうじょうし)が本城(小田原城)と各地の支城をつなぐ道として整備したもので、総合体育館西側で道が分岐します(小田原道は分岐の西側の道)。
この場合の「支城」は真田にあった真田城(さなだじょう)を指します。

 もう一つの「矢倉沢往還(やぐらさわおうかん)」は「青山街道(あおやまかいどう)」などの別名があり、現在「バス通り」と俗称される道です。
現在の伊勢原市と秦野市の市境にある矢倉沢往還の善波峠(ぜんばとうげ)越えが大変であった為、新しく峠を越えない道路として建設されたそうです。

 青山は現在の東京都港区の青山で、そこに向かう主要な街道であるため、現代風に言うならば246(国道246号線)の前身というのが解り易いでしょうか。現在は神奈川県道613号曽屋鶴巻線です。

それでは、またいつか!(不定期連載的な意味で)

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外伝第一回『東海大学湘南校舎〜1117番地の思い出(上界編その一)』
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2011.11.17 Thursday 08:56
 こんにちは。おにぎりです。

 いきなりですが本日は東海大学湘南校舎の旧地番・1117番地と同じ数字の日付なので、その名も「1117番地の思い出」という番外編企画を実行したいと思います!

 というわけで今回から番外編で東海大学湘南校舎に眠る地名を上界・下界・短大編に分けてご紹介いたします。

―――キリトリセン―――

芥坂(あくたざか/旧名:皿廻し(さらまわし))

地域内の施設など

・1号館前の坂東側・ふもと
・総合グラウンド(野外音楽堂)
・野球場(北東部除く)

解説・備考

 もともと「ごみざか」と読み、急な坂があった場所。ここは比々多神社(ひびたじんじゃ:伊勢原市三之宮)の神輿が通過する際その地形のせいで常に人混みがちだったことからこの地名がついたとされる。つまり「人混みの坂」が縮まって「混み坂」となり、それに当て字された「芥坂」を「あくたざか」と読むようになった。

 旧名は皿廻しといった。現在も南金目に皿廻(上皿廻・下皿廻)という小字があるが、この芥坂とは離れた場所にある(現在の南門周辺:下界編にて取り上げる予定)。

ML_総合グラウンド
総合グラウンド(野外音楽堂)



王子ノ台(おうじのだい/旧名:若宮前(わかみやまえ))

地域内の施設など

・2号館
・3号館
・11号館
・14号館
・松前記念館東半分
・松前会館
・松前門
・王子ノ台遺跡
・地蔵像(由緒不明:11号館北側)

解説・備考

 大学内の小字ではかなりの広さを持つ。もともと北金目神社(かつては熊野神社)の社地であり、昔から見晴らしの良い台地である。「王子」は熊野神社の祭神を示す言葉であるため「熊野神社領地の台地」のような意味であろう。

 旧名は上記のとおり「若宮前」であるが、この若宮は熊野神社に祀られている「若一王子(にゃくいちおうじ)」に由来するものと推測され、王子ノ台と意味・由来は同じであると推測される。

ML_2号館
二号館

ML_3号館
三号館



大塚(おおつか)

地域内の施設など

・10号館
・13号館

解説・備考

 東海大学湘南校舎のうち、秦野市南矢名に位置する地域の小字地名。教養学部が主に使用するエリア。平塚側にも「大塚所」の地名があり、元来は同一の地名と思われる(後述する)。大規模な古墳(=塚)があったことに因むと考えられる。

ML_10号館
十号館


―――キリトリセン―――

 本当は今日一日で全部ご紹介しようと持ったのですが、あまり長くなっても読みづらいので一回につき三〜四つの地名を紹介することとしました。(なんせ大学の中だけで20以上の地名がありますし…)

 大塚は本編第27回の「大塚所の古墳群」でご紹介いたしました「大塚所(おおつかどころ)」の隣の字です。隣といっても由来から指しているものまで同じなので同じ地名といってもいいレベルなのですが…。

 因みに上界(じょうかい)とは湘南校舎の北側の丘になっている所を漠然とさす名称です。もちろん丘になっている所からついた呼び名ですが、地名も丘であることを示していて非常に面白いです。ただの丘ではなく、それぞれに個性的な名前が付いてますし。そういえば入谷戸にあったアーチェリー場はなくなってしまいましたね…。

 ちなみに、この語り部外伝は不定期でやって行こうと思います。その方が皆さんもわくわくするでしょうし…。

 で は ま た ! 
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