2010.12.29 Wednesday 10:27
みなさんこんにちは!おにぎりですヾ(*´д`)ノシ

第四回を迎えたおおねの語り部、今回は前回取り上げた真田(さなだ)の谷戸のうちの一つ、与市谷津(よいちやと)の名前の由来となった武将の“真田与一(さなだのよいち)”こと真田義忠(さなだ よしただ)と彼の城である真田城(さなだじょう)についてお送りいたします。

真田義忠
真田義忠(右)

与一は久寿2年(1155年)生まれで岡崎城(おかざきじょう:平塚市岡崎)の城主である岡崎義実(おかざき よしざね)の子であり、後に真田城を居城としたため真田を苗字としました。

かの有名な源 頼朝の挙兵に応じて石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい:治承4年8月23日(1180年9月14日))に参戦し、そこで敵将・長尾新六(ながお しんろく)に討ち取られて25年の生涯を終えました。

その真田与一が居城とした真田城ですが、ここには現在天徳寺(てんとくじ)というお寺が建っています。

天徳寺山門
天徳寺山門

この真田城の西側には前回紹介した複数の谷津(やと)が連なり、南側には王子ノ台(おうじのだい)や上ノ原(うえのはら)と呼ばれる丘があり、そして北側には天然の堀である大根川(おおねがわ)が流れるまさに要塞を築くには最適の土地だったようです。

真田城見取り図
真田城見取り図 - 「中郡勢誌」より

真田城を周辺に残された地名から見てみると、

築地ノ内(ついじのうち)が城の塀の内側、
そして南側の竹ノ内(たけのうち)は城の敷地内を意味する「館ノ内(たてのうち)」の変形、
スクシは城の守護神を祀った場所を表す「守宮神(すくじん)」の変形、
クルワや曽我郭(そがくるわ)は城を取り囲む郭(くるわ)があった場所、
鬼城(おんじろ)は真田城本丸(天徳寺辺り)からみて鬼門の方角の出城、
塚越(つかごし)は物見台として使われたであろう…

などのように地名からもかつての真田城の姿を復元することができ、また地名がこのように歴史的遺構を復元するために役立つことも多いのです。

次回の語り部は新年1月12日の予定です。お題のヒントは「お寺」です(・∀・)。

参考文献
神奈川県中地方事務所 編『中郡勢誌』(神奈川県中地方事務所 1953年)

バックナンバー
第三回『谷戸の街・真田』
第二回『南矢名の景勝地・烏啼』
第一回『一本橋の堰と烏啼の堰』
新コーナー始まります!
| おおねの語り部 | comments(2) | trackbacks(0) |
Comment
2010/12/30 7:21 PM posted by: 松屋不動産福嶋
良く調べたね!!ナイスな記事です!!
来年もよろしく!!
2011/01/01 2:13 AM posted by: おにぎり
>福嶋さん

明けましておめでとうございます><*
今年もよろしくお願いします(*´д`)
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